

CINEMUSICA
音楽業界が映画に参入したプロジェクト
2製作
映画監督・井上春生による新しいプロジェクトでもあり、プロモーションビデオならぬ“プロモーションシネマ”という新しい概念のもと、MTV JAPANらのパートナーとともに年間4本ほどの井上によるオリジル原作の映画を生み出していく。
3目的
これらの映画とエピックレコードジャパン社の新人アーティストによるシングル楽曲をシンクロさせ、音楽と映像とが密接に連携する新しい展開を行っていく。
4背景
新人のプロモーションを考える場合、最初から大きなタイアップが組める例は非常に稀。逆に言えば、十二分な才能を備えながら、タイアップがないことでチャンスを喪失しているというアーティストも多い。だから、自社で映像コンテンツを製作していくことで新人の露出を確保できる今回のかたちに思い至った。(一志順夫氏談)
5フロー
第1弾のMTVでの放映に伴う番宣、第2弾の劇場公開に伴うプロモーション、第1弾のDVD発売に伴うプロモーションが順に行われるといった連環が、第3弾、第4弾と製作を重ねていくに連れ、年間を通じて行われていく。

CINEMUSICA
EPIC RECORDS JAPAN
AN INOUE Haruo Film

A Film by INOUE Haruo
※CINEMUSICAには他に「つむじ風食堂の夜(篠原哲雄監督)」など5本の作品があります
※ページ内で使用されている写真は全て映画公開時にアプルーバルが取れています
写真は (c)EPIC RECORDS JAPANに帰属します

CINEMUSICA
EPIC RECORDS JAPAN
AN INOUE Haruo Film

CAST/MUSIC
1チェリーパイ
テーマ=憧憬
出演
北川景子
江口のりこ
原田夏希
白井晃
肘井美佳
海東健
渋谷桃子
竹財輝之助
東山麻美
品川徹
岡田浩暉
主題歌「二輪花」
いきものがかり
作詞 / 作曲:山下穂尊
編曲:田中ユウスケ
2東京の嘘
テーマ=都会のおとぎ話
出演
島田雅彦
岩田さゆり
菊池亜希子
ジェイ・ウエスト
平山広行
佐藤寛子
nangi
小山田サユリ
主題歌「UNMEI」
挿入歌「JINX」「妄想依存ショー」
nangi
作詞 / 作曲:nangi
編曲:村山達哉
“Tokyo Grand Orchestra”
挿入曲「近頃地球は病んでいる」
詩・朗読:島田雅彦
3WHITE MEXICO
テーマ=ロードムービー
出演
大江千里
ティアラ
篠原勝之
ブラザートム
はねゆり
東山麻美
中里真美
大久保卓朗
佐々木仁
トーマス・ウォーカー
主題歌「Along the Line」
Akeboshi
作詞 / 作曲 / 編曲:Akeboshi
挿入歌「静寂の場所」
大江千里
作詞 / 作曲:大江千里
ストリングスアレンジ:村山達哉
“Tokyo Grand Orchestra”
4音符と昆布
テーマ=フラジャイル
出演
池脇千鶴
市川由衣
宇崎竜童
石川伸一郎
島田律子
久保晶
山崎満
木村卓矢
牧田侑士
山根博
朝日梨帆
主題歌「Soul Mate」
Chix Chicks
作詞:小山内舞
作曲:村山達哉
編曲:Maestro-T
挿入歌「Blue Love Letter」
Chix Chicks
作詞:立田野純
作曲:豊島吉宏
編曲:Maestro-T
5遠くの空
テーマ=異国
出演
内山理名
キム・ウンス(김응수)
黒田福美
山岸賢介(ウラニーノ)
並樹史朗
宇津宮雅代
笠原浩夫
マイク・ハン
水橋貴己
小山田サユリ
主題歌「私たちの主題歌」
ウラニーノ
作詞・作曲:山岸賢介
編曲:ウラニーノ 佐久間正英 小佐井彰史
挿入歌「Ave Maria」
石丸幹二
作詞:アヴェ・マリアの祈祷文より
作曲:Charles Gounod
編曲:石塚徹
6bird call
テーマ=20歳のリアル
出演
鈴木えみ
奥田恵梨華
田中圭
辛島美登里
吉岡麻由子
小林麻子
徳永友美
滝口修央
嶋田久作
中山麻聖
三浦圭祐
岩城文夏
渡辺舞
今井春奈
主題歌「bird call〜約束〜」
辛島美登里
作詞:辛島美登里
作曲 / 編曲:村山達哉
“Tokyo Grand Orchestra”
(ユニバーサルミュージック)
※CINEMUSICAの前身とも言えるこの作品の脚本/監督は井上春生。配信が話題を呼び異例の全国劇場公開に至った。製作はmobcast/東芝、後のDVD販売はエピックレコードジャパンが行い、CINEMUSICAシリーズに入る。

CINEMUSICA
©️EPIC RECORDS JAPAN
AN INOUE Haruo Film

MEDIA
随時更新していきます 2024.2.6
Transcription
月刊カドカワ 2008.1.18
『音符と昆布』 井上春生監督インタビュー
〜映画と音楽をコラボさせて 新しい表現をしていきたい〜
「CINEMUSICA」第 4弾として、1月26日より公開される『音符と昆布」。シネ ムジ力とは「Cinema」 と「Music」との融合を意味する造語で、レコード会社エピックレコードジャパンが立ち上げた映画プロジェクトである。 井上春生監督は4作品すべての原案、脚本、監督を務めている。
井上 「ショートムービーシリーズ 「JamFilms」の携帯版 「min・Jam」でぼくが撮った 「ため息の理由」「birdcall」。2つの作品を観たエグゼクティブプロデューサーの一志さんが声を掛けてくれたんです。音楽PVを進化させたかたちで新しい映像作品、映画を一緒につくろう、と」
「ため息の理由」「birdcall」は、それぞれ斉藤和義、辛島美登里の同名曲が主題曲。両作は携帯サイトで大好評を呼んで、劇場公開にも至った。
井上「CINEMUSICAは<映像と音楽の新たなカタチを想創造する>というお題目はあるのですが、時間割の決まった堅苦しい授業よりは、お昼休みや放課後の遊びのような自由閣達な感覚から、新しい映画という文化が生まれればいいなと。そんな隙間に文化は生まれると思うんです」
映画公開と主題歌リリースを シンク口させた相乗効果を狙い、 2006年10月の公開「チェリーパ イ」(主演/北川景子主題歌 /いきものがかり)でスタート。昨年は「東京の嘘」(主演/島田雅彦 主題歌/nangi) 「WHITE MEXICO (主演/大江千里 主題歌/Akeboshi)が公開された。
井上「ひとつの楽曲があって、新しい映画が生まれていくこともあれば、あるいはひとつの企画、 脚本があって、新しい楽曲が生まれていくこともあります。この『音符と昆布』の場合は、まず音符を探す姉と妹との物語があって、そこから主題歌が生まれていく作り方になりました」
映画の主人公は、池脇千鶴演じる自閉症の一種、アスペルガー症候群という障がいを抱える姉と、市川由衣演じる臭覚が失われたフードコーディネイター妹。姉は家族の思い出が詰まった音符を探しに、妹の元を訪ねるが、障害のために妹とうまくコミュニケーションがとれない。姉が探している音符とは、 電線を背景にして逆さにすると音符に見える街灯が写ったポラロイド写真。姉妹の不思議なやりとりが、淡々と描かれていく。
井上 「アスペルガー症候群の人たちは、知的障害はないんですが、 他人の心を推し量れず、対人関係をうまく築けない。毎日が新しい舞台に立っているようなも ので、 相手に対して自分がどうふるまったらよいかがわからないんです。ですから、姉が妹に会いに行こうとすれば、さまざまな葛藤や壁に突き当たる。そこに生まれるドラマを、描きたかったんです」
そのドラマはデフォルメされているが、他人との関係で、誰もが時に味わうものに通ずる。 スクリーンを観ていると、互いに欠落しているものを感じなが ら、コミュニケーションしている隔靴掻癖さを感じていく。それだけに、映画のクライマックスは心に迫るものがある。
井上「ラストシーンをテーマソング に着地させるのがルールです が、つくり手として避けたいの は完全なタイアップになること (笑)。ですから、今回も音楽プ 口デューサーの松尾潔さんと主題歌の曲調、歌詞を映画とシンク口させながら、楽曲として独立させる方向で、何回も夜を徹して打合せをしました。音楽をやっている人には映画好きが多くて話が通りやすいんですが、 松尾さんからは脚本のブラッシュアップも含め、さまざまなところで刺激を受けました」
主題歌を唄っているのは、CHIXCHICKS。CHEMISTRY、平井堅をプロ デュースしたR&B界の第一人者、松尾“KC“潔が手掛ける、初の女性ボーカルグループである。
井上「CHIXClCKSは、 6人の女のコたちのさまざまな個性に彩られている。そういうカラフルさが、主人公姉妹の微妙な感情の移ろいにうまくハマっていっていると思います。この映画では、ディスコミュニケーションゆえ台詞にすると一方通行で過剰になりがちな姉妹の心情を主題曲、挿入曲の歌詞に 載せました。お客さんに想像させる分、音楽だと収まりがいい場合があります」
『音符と昆布』は映画と音楽がコラボしながら、それぞれ独自の作品が生まれている。井上監督の言う「新しい文化」がそこにはあるように思える。
COMMERCIAL PHOTO 2008.3
これまでのミュージッククリップの概 念を飛び越えて、映像と音楽の新たな力 タチを創造しているCINEMUSICA(シネム ジ力)シリーズ。「チェリーパイ」「東京の嘘」「WHITE MEXICO」に続き、第4弾「音符と昆布」が、現在、TOHOシネマズを中心に全国で公開中だ。
これまでのミュージッククリップの概 念を飛び越えて、映像と音楽の新たな力 タチを創造しているCINEMUSICA(シネム ジ力)シリーズ。「チェリーパイ」「東京の嘘」「WHITE MEXICO」に続き、第4弾「音符と昆布」が、現在、TOHOシネマズを中心に全国で公開中だ。
このシネムジカシリーズの脚本・監督を全て手掛けているのが、井上春生監督。
―アーティストと作品のコラボレーションは、どのように進めるのですか?
井上「作品ごとに違いますが、『音符と昆布』の場合は、脚本を書く段階がら、 音を入れることを考えて書きました。 アーティストの特徴を考えながら、音楽と映画とがいかに有機的に結びつい てひとつの世界を描けるのか、ということは毎回考えています」
―全体の尺を印~幻分くらいにしている理由は?
井上「このプロジェクトの主旨を考えた時に、長編を年に1本くらい作るよりは、中篇を積み重ねて行ったほうが いいと考えたからです。この長さだと、登場人物が3人だけで描ききれる。そのキャラクター作りとミュージシャンとの相性をうまく合わせていって、バ ラエティに富んだ中篇がシリーズとして並ぶと、面白くなると思いました。 あえてちょっと実験的なことをして反 応を見られるのも、ショートフィルムの魅力です」
―制作方法について教えてください。
井上「HDで撮影してファイナルカットプ口で編集。サウンド編集のワークフ口ーもSOHO化して、ミキサーとデータのやりとりをしながら進めています」
―今後やってみたいことは?
井上「アーティスト自身が演じたものや、ミュージカル仕立てにするのも面白いかもしれない。もちろん予算も製作日数も限られているけれど、重要なことは「場」を与えられたクリエイターが、いかにフレキシブルに考えられるかということ。シネムジカは、映像的 発見ができる場なので、チャレンジしていきたいです」
SPOON 2007.4
「JAM Films」の新シリーズとして旬のクリエーターたちが参加した「Min Jam」シリーズでは、 斉藤和義の楽曲にのせて加藤口ーサを主演に迎えた『ため息の理由』(06)、辛島美登里の楽曲にのせた鈴木えみの初主演作『bird call』( 06)を手がけ、力リスマ的な人気を誇るモデルやアイドルと新進気鋭のアーティストと のコラボレーションを成功させてきた井上春生監督。
このCineMusica(シネムジカ)と名付けられたシリーズは、映像と音楽の新しい方向性を開拓し、新しい映画製作の形を生み出す、シネマと音楽の融合として、井上監督を中心に立ち上げられました。
北川景子を主演に迎えた第ー弾の『チェリーパイ』(06)で、新々気鋭のアーティスト・いきものがかりの「二輪花」を主題歌として起用し、注目を集めたのも記憶に新しいのではないでしょうか。今回 Spoonでは、主役である魅惑的な少女・ゆかり役に、繊細な演技で人気の女優・岩田さゆりを迎え、新人とは思えない圧倒的な存在感を持つシンガーソングライターnangiの、脆さと力 強さを秘めた歌声にのせて綴るポップな映像 コラージュ、CineMusica第2弾『東京の嘘』を ご紹介します。
過去に傷を持つ若者たちが生んだ悲しい事件を巡り、時問枠を飛び越えて映像が錯綜していくこの物語は、ネット時代に生きる私たちが液晶を通じて目にする、架空世界で起きる匿名の果てしない妄想ショーの連鎖に対して監督が疑問を抱いたことがきっかけで生まれました。
本作が他の映画と一線を画しているのは、作家の島田雅彦(この上なく凍々しいー) が大学教授役として主演を果たしているところ。実生活でも執筆業の傍ら、法大教授を務めていることもあって、企画段階から名前が挙がり、自身の新作「力オスの娘」(小説すばる11 月号掲載)との共通点を感じてこの作品の出演を決めたのだとか。脚本も彼をイメージして当て書きで作られています。製作段階では、 セリフのアイティアを出したり、挿入歌の歌詞を担当、そして歌声まで披露し、果てはヴィオラで主題歌演奏にまで参加するなどの活躍ぶり。リアリティのある自然な演技を見せる、今までにない役者・島田雅彦の顔が見ることができるのも楽しみのひとつです。
また、独特な世界観で人気のモデル・菊池亜希子が、ゆかりの姉・ちひろ役で初出演を果たしている のも注目。言葉の嘘でごまかして生きていくことができる現代の悲しさを鮮明に写し出した本作を観終わって、少しでも痛み・を感じる人がいたら、それは「癒し」であったはずのものが「悪夢」にも成り得るというネット社会 の闇に対して、どこかでアレルギー反応を起こしているのかもしれませんね。
BARFOUT! 2007.4
FEATURE 04『東京の嘘』監督/脚本:井上春生
PART2 島田雅彦
主人公の精神分析学者・大学教授を演じるのは作家・島田雅彦。分析研究と言うより、退屈な毎日を紛らわすために、教え子との密かな実験を繰り返す彼に舞い込んだ事件。そこから物語は口ールしていく。何作か映画出演してきた島田が、今作で本格的に「演じ る」。加えて、主人公のブログ文章出筆に、nangiが唄う主題歌「jinx」ではヴィオラ演奏、挿入歌「妄想依存ショー」では詞提供にデュエット参加!と、クリエイターとしても参画する流れとなった。日頃から「俳句、茶道は退屈を紛らわす素養」と語り、実際に大学で教授をつとめる島田。どうも「役を演じた」のではない動機を感じたのだ。
テキスト:山崎
「なんで俺ここにいるの?」っていうのが表れていたから、目立つっていう程度で
barf 「映画に主演して欲しい」と言われた時は?
島田 サプライズですね。「主演」というのは、初めて聞く言葉でした。役は大学の教授ですが、実際に大 学で教鞭をとるという仕事自体、講義で起承転結を作り、ベストなところにクライマックスを持ってきて、 かつ、眠らせないようにエンターテイメントに務める、 という点ではーつのパフオーマンス業なのです。その意味で演技経験は10年に及ぶ。そう思う事で、主演に臨む事になるこのアマチュア俳優を励ましました。
bart 執筆と、それ以外の表現では取り組み方にどのような違いがありますか?
島田 書く仕事自体は見世物じゃありませんから、こっそり夜、誰にも見られずに書いてます。その意味では日陰ものです。人生の半分は、密室に閉じ篭っていたタイプです。でもやっばり、引き篭もってると外に出たくなるし、他人と接触したくなるもんなんですよ。 ネットとかコンビニとか、窓口がなかった時代の作家はどうしていたかというと、やはり仲間同士でつるんで飲んでたんですよね。80年代ぐらいまでそうだったと思いますけど、みんなパフオーミング・アートに関わりたくて、自分の本が映画や芝居になる事をものすごく渇望していたんです。
bart 文壇にはパフオーミング・アートに関わる事に対して批難する人も多いんじゃないですか
島田 日本文学は、それこそ激石以来モテない男の系譜として捉える見方があるぐらいです(笑)。私小説家が自分の冴えない人生を赤裸々に描くのが文学のメインストリームになってしまったので、そういうとこ ろに多少なりとも片足を突っ込んでる人達からしたらやっかむに決まってるんです。私は文壇では傍流に追いやられているわけですが、傍流に追いやられてもモテないよりはマシです(笑)。
bart (笑)真理ですね。今回は演じるだけでなく、 主題歌の演奏など、全面的に参加なさってます。
島田 台詞まわしも、大抵の場合こっそり変えちゃう んです。いかにも間違えたようなフリしてね。どうしても間違えようがない部分は、一応許可を取ります。 まあ、「そこまでするんだったら、何か他もやってくれ」、 みたいに話を持っていかれたのかな?
bart 作詞された「妄想依存ショー」はストーリーに沿った内容になっていますね。
島田 そうなんですけど、ポップ・ソングの場合はメ ロディが先でしょ?ただ例外的に翻訳、外国歌曲の翻訳は、実質詩が先ですよね?僕はそれしかやった事がないので、あらかじめ作られた曲にシラブル(音節)を充てていくことにすごく戸惑ったんです。基本 的には俳句の世界に近いのかな?と思いました。
bart ただでさえ日本語は情報量が少なく、音譜に乗せづらいのに、且つポップソングですと、平素な言葉使いが求められます。
島田 はい。日本語の場合は、基本的に口ーマ字表記 になっていて、どんな音にも母音がついてきてしまう。 よってシラブルを沢山使わないと、まともな意味を作り出せないというデメリットがある、と思われています。確かにそうだけれども、肝心なのは情報の圧縮の問題なので、なるべくシラブル数の少ない単語を組み 合わせる事によって、多様な意味を盛り込んでいけば いい。基本的には上手に要約をすれば、情報は収まるはずなんですね。「忠臣蔵」という、歌舞伎にしたら長大なストーリーを部分部分つまんで、ものすごく圧縮してオペラにした経験からすると、できない事はな いんですよ。
bart 役者業、今後更にオファーが増えるんじゃないですか?
島田 どうですかねえ?使いつらいと思いますよ(苦笑)。私が今作を観た限りでは「なんで俺ここにいるの?」っていうのが表れていたから、目立つっていう 程度で、演技はへタだと思いますけどね。
bart それでいて存在感があるというのは……。
島田 私は口ベール・ブレッソンが好きです。彼はアマチュアしかキャスティングしないんですね。それは、プロフェッショナルの過剰な演技を嫌ったんでしょう。 彼は劇中のキャラクターのプレゼンスだけを求めたんですね。一切余計な事をさせたくなかったなら、役者はむしろ不器用な方がいいわけです。ただぶっきらぽ うにそこにいる。細かい芝居なんかできませんから。 ただそこに在る、という。この恐ろしさって言うんで しょうか?暴力的ですらあるわけですね、その異物性において。
bart 島田さんの場合、異物性というのは得てして快感にも繋がりませんか?
島田 (苦笑)ジャンルは違うけれども、それを追求してきたようなところはありますのでね。
bart 逆に、同化しちゃうと非常に居心地悪い?
島田 そうそう、酒飲んでてもね、なんかみんなが盛 り上がってる時、水を差したいっていう性格なんですよ。そういえば、私が一番最初に出演したのは実は唐十郎の芝居なんです。ある出版社の企画でいきなり放り込まれちゃったんですよ、あの荒くれ者集団に(笑)。 みんな体育会系でしょう?それで狭い舞台を全力疾走で、「お前も周れ!」とか言うんだけど、私の前だけ間が空いちゃう。そのままだと、その世界の常識じゃ絶対目立たないと思ったので、あえてナョッとして演じたんですよ(笑)。あそこで唐さんに怒鳴られてたら、もう一切芝居なんかしてないでしょう。褒められたから、まだやってるのかもしれないな?と、今思 し出しました。
bart 最初の現場が唐さんだったというのが(笑)。
島田 ええ、良かったのかもしれない(笑)。
(2月9日/市ケ谷にて)
Walkerplus 2010.9.23
内山理名が、韓国の実力派俳優キム・ウンスと共演したラブストーリー『遠くの空」(9月25日公開)で、運命的な出会いに翻弄されるヒロイン役を好演。韓国語のセリフにも初挑戦し、年の離れた上司への思いに揺れ動く心のひだを表現した。そんな内山が、感情の起伏を示したチャートのような「感情の」まで作ったという井上春生監督の綿密な演出について語ってくれた。
内山が扮するのは、今は亡き日本人の父親と在日韓国人の母親に日本で育てられたヒロイン・松木美江。彼女が、職場で韓国人の上司・柳正培(ユウ・ジョンべ)と運命的に出会い惹かれ合っていく。本作は、ラブストーリーを軸にしつつも、1980年に韓国で勃発した光州事変のエピソードも織り込まれた人間ドラマとなっている。
最初に脚本を読んだ時、内山はかなり戸惑いを覚えたという。「すごく重いテーマの作品だなと思って、びっくりしました。韓 流ドラマは好きだけど、本作ではぜんぜん知らない韓国の部分が 描かれていたので。でも、その代わりに、監督と常に話し合うこ とができたので、毎日楽しく撮影することができました」
監督は、『音符と昆布』(08)の井上春生で、極めて細やかな演出を施したようだ。「本作はセリフも少ないし、解説や原作があるわけでもないので、常に気持ちを一緒にしておこうってことで、最初 の話し合いで"感情の表"を作ったんです。今、ここでこういう段階だから、こういう気持ちの揺れ 動きをしているとか、すごく細かいところを話し合いました」
クライマックスのあるシーンでは美江の感情が高ぷり、静かに涙を流すシーンがとても美しいが、 あのシーンについてはこう語る。「ドラマだと、ここで泣かなきゃいけないって、一生懸命に作って 演じることが多いんですが、今回は無理がなかったんです。すごく話し合ってから演じたので、そこで涙が流れたところを本当にうまく切り取ってもらったというか。自分が感動して、その気持ちをち ゃんと撮ってもらえるのは、お芝居をしていて、本当に嬉しい瞬間ですね」
美江が父親世代の上司・柳に惹かれる気持ちは、共感できたのだろうか。「恋愛の部分で共感する部分はなかったのですが、『この人のことが知りたい:興味がある』とか、『もう一度この人に会いたい』と思う人という意味では理解できました」では、美江と柳のような運命的な出会いを、内山 は信じるのだろうか?「信じています。お互いに呼び合うものがあるのかなって。運命とか必然とか言ってしまうと現実味がないけど、 でも、ある気がします」
本作に出演して、映画をもっとやってみたくなったという内山。「舞台もドラマも違う表現として 好きですが、映画でしかできないことってあるんだなって思いました」。確かに、スクリーンで見る 内山の自然体な表情は、奇跡のような物語に説得力を与えている。是非、ひと皮むけた内山理名を見に行ってほしい。
[Movie Walker/山崎伸子」
スポーツ報知 2006.8.19
映画「チェリーパイ」でフレッシュタッグ
いきものがかり主題歌「二輪花」
✖︎
北川景子「主演」
「10月7日公開」
「SAKURA」でブレークした男女3人組ユニット「いきものがかり」 が、女優・北川景子(19) の初主演映画チェリーパイ」(10月7日公開、 井上春生監督)の主題歌を歌うことが18日、分かった。タイトルは「ニ輪花(にりんか)」で、「いきもの」が映画主題歌を歌うのは初めて。同曲の流れるシーンがそのままプロモーションビデオ (PV)として使われる史上初の試みでも注目を集めそうだ。
デビュー曲「SAKURA」が今年の桜ソング として話題になった「いきものがかり」が、初めて映画主題歌を手がけることになった。「チェリーパイ」は、 米映画「ワイルドスピード×3 TOKYOドリフト」でハリウツドデビューを果たした北川が初主演。好きな人を亡くし、 恋と夢に悩む駆け出しの菓子職人(北川)と、彼女を取り巻く友人の淡い恋愛を描く。主題歌は井上監 督の指名だった。
3月のWBCの放送中にCMソングとして大量オンエアされていた「SAKURA」を聴き、「バンドの名前と楽曲のミスマッチにひかれた」(井上監督)ことが起用のきっかけになった。3人は台本を何度も読んで監督と話し合い、繊細な乙女心を描く映画を盛り上げる切ないバラード「二輪花」を書き下ろした。
「井上監督も詞を絶賛」
3人は「台本を読んでその世界観がなるべく生きるように作ることが僕たち自身にも初めてで、とてもすてきな体験 でした」。井上監督は「詞の世界観と映画の乙女心が見事にマッチしていて、映画をより広い世界に導いてくれた」と絶賛している。 また、映画と音楽が融合した史上初の試みも行われる。映画のワンシーンがPVに使われる例は多いが、今回は、劇中で「二輪花」が流れるクライマックス直前のシーンがそのままPVになる。PVから映画の宣伝を行う"プロモーション・シネマ"としても話題を呼びそうだ。 同曲は「いきもの」の3枚目のシングル「コイスルオトメ」のカップリング曲で10月18日発売。11月10日からは全国ツアー「いきものがかりのみなさん、こんにつあー!2006」(7か所7公演)も決定。春の「SAKURA」、夏の「HANABI」に続き、秋も勢いが加速しそう だ。
「演技も注目」
ハリウッド映画の主役に抜てきされた北川の演技も注目だ。北川は 「泣くシーンが多かったんですが、大切な人を失う悲しさをリアルに表現出来るように頑張りまし た。等身大の私を見て下さい」と話している。共演は江口のりこ(26)、原田夏希(22)、肘井美佳 (23)ら。東京から10月7日公開。
InRed 2007.12
26歳にしてキャリア10年の実力派・池脇千鶴。 自分で納得した脚本でないと出演しないと言う彼女が、自ら選んだ2008年初の映画を語った。
役にリアルを与える演技力と存在感でスクリーンを占領する演技派、池脇千鶴。最新作 『音符と昆布』では、自閉症のーつ、アスペル ガー症候群を演じるといった難役に挑んだ。
「タイトルを初めて見た時、一体どんな映画 なんだろうって思ったんですよ(笑)。で、読 んでいったら、人と人の触れ合いを描いてい たし、・お姉さんは火星人でした"というフレ ーズも印象に残って興味をそそられました。 ストーリー、キャラクター描写もきちんとしていて、疑わないで演技ができる脚本だと思いました。ハッピー工ンドというところも、私にはこういう作品は珍しいし、幸せな気持ちもいいかもって(笑)」
芝居の支えとなる脚本を大切にする彼女にとって、この作品のアスペルガー症候群の描き方が「面白おかしく描いてなかった」ことも 出演の決め手となったそう。役つくりは、資料を読み込んだり、モデルとなった人に会うなどして掘り下げていった。そうして、言動 は予測できず、ハラハラさせられるが、どこか憎めないキャラクターができ上がった。 「かりんはホント、困ったお姉ちゃんなんで す(笑)。いつも一生懸命だから憎めないけど。 彼女がわざわざ苦手な外の世界に出てきた理 由を考えると愛おしくもあって。彼女を演じる上で苦労したのは、セリフの量が膨大だったことー彼女は好きなことをずっと話していて、人との会話がつながっていかないんですね。セリフとして覚えにくいし、そこはしんどかったです。感情的な部分では、あまり深いことは考えずに、表情や仕草で伝えることができたら、と思っていました」 常に違う役どころを選び挑戦し続けている彼女。来年は4本の待機作が控えているが、 どんな演技を見せてくれるのか楽しみ。
「今回もそうだったけど、難しいかな?どうしよう?と自問自答し、人にも相談しつつ、 最終的には自分自身で決めます(笑)。後は現場でやるしかない。その繰り返しですね」
(文/杉嶋未来)
まいぷれ CUTE MOVIES 2007.8.24
「WHITE MEXICO」で17年ぶりに映画主演に意欲を見せる大江千里さんにまいぷれが独占にインタビュー!
「WHITE MEXICO」
ストーリー 最愛の妻を病気で亡くした直後、愛娘を暴漢に惨較され行き場を失った中年男、佐藤〔大江千里〕 が、ふとしたことでロシアからきた女、パステル(ティアラ)と出会う。バステルもまた心に傷を負った孤独な女だった。ニ人はひたすら生きる場所を探し求め叫逃避行を続ける…。
アーティストの域にとどまらず、これまでアクターとしても味のある役どころを数多く演じてきた大江千里さん。映画主演は実に17 年ぶりだという大江さんに「WHITE MEXICO」出演のきっかけや、役作り、撮影中のエピソードなどを聞いてみた。
◆全てがポエム !
―本作品にこ出演された経緯を教えてください。
「井上監督から渡された台本を読んでみたら全てが詩だったんです。一行、一行が一片の詩のよ うで、シナリオ全体がポエムでした。セリフとセリアの行間を見つめながら、そのスベースに思 いを膨らませる…。この作品を911るのは大変困難だと思いましたが、同時にやりがいがあると感じたので出演を決めました」
◆等身大の役柄に興味!
―大江さん演じる佐藤はこれまで大江さんカ喉じてきたどの役にも当てはまらない上、大江さんのイメージからはかなりかけ離れた役でしたが、違和感はありませんでしたか?
「これまで演じてきた役柄はイイ人が多かった(笑)が、これまでとは違う役に挑戦をしてみたかったし、40歳半ばの等身大の自分を演じてみたかった。佐藤という男は実年齢に近い役だったし、面白い!やってみようと思った」
◆映画制作は情熱で支えられている!
―音楽と映画のスタンスに違いはありますか?
「モノを作ると言うことでは音楽も映画も全く同じだけれど、映画の人たちの方が無償で動いている感がある。映画への向き方が熱い!スタッフのみんな、ちゃんとギャラ貰ってるの?と思うくらい(笑)!に…"映画が好きだから"という現場の情熱に支えられているんだナアって 、つくづく映画って凄い!と思った」
◆犬と役作り?
―撮影時のエピソードがあれば教えてください。
「とにかくシナリオの台詞の一言一句を自分の中に引き込み、そこから役のイメージを墳み重ね上げました。そうやって少しづつ台本から離れていき、台本を捨てて現場に入りまレた…シリアスな役作りの特訓はもっぱらウチの犬とやってました(笑〕。"死ぬっていうのはね、ごく目の前にある普通のことなんだよ! …ワン!"理不尽っていうのはね" …ワン!こんな具合にね(笑)」
◆未成年から未中年?
一今回演じる佐藤という役は心を閉ざした中年という役どころですが、“中年”という言葉に関して思うところはありますか?
「僕のアルバムで『未成年』というのがありましたが。今はそう …『未中年!」といった惑 じ。青年期と中年の間をガンバレ、ガンバレ!といいながら綱引きをしている感覚が今の自分の中にある」
◆"祈り”のバラードが心に染み入る!
一感動的な挿入歌が、佐藤という男の心象風景と共にスクリーンを包みますが、あの楽曲が生まれた背景を教えてください。
「撮影が終了して数日後、佐藤の気持ちを挿入歌として歌ってくれませんか?と監督から打診があって、佐藤のイマジネーションを残したままビアノに向かいました。そしてポエトリーリーディングのような形で生まれためが「静寂の場所」です。あれは愛娘を亡くした男の切なさを表現した"祈り"なんです。
Cinemart movies 2007.8
1990年に公開されたラブコメディ『スキ!』以 来、17年ぶりの主演作となるこの作品「WHITE MEXICO」について大江千里さんは
「脚本がとにかく面白かった」
という言葉から語り始めた。
「佐藤という全てをなくした男が究極的などん底状況の中で、天便のような女性と出会い、蘇生していく様子、その台詞の問からあぶ りだされる景色がとにかく鮮やかで、この役をやってみたいと思ったんです」
もちろん、今までにない役柄には出来るだろうかという あきらめたくない気持ち、報われない部分を抱えながら生きとが出来るのではないかとも感じ、この作品への出演を決めたという。井上春生監督からは撮影前に
「髪も切らず、 髭も剃らず、少し痩せてくれ」
という指示があったというが、今現在、目の前にいる大江 さんも白いものが混じった無精髭姿。まるで 映画の中で演じた佐藤が飛び出してきたかのようでもある。撮影の1カ月ほど前から監督に指示された役作りを開始し、鏡の前に立つたびに「ホームレスチックだな(笑)」と感じていたというが、そうした風貌となり、脚本を読み、稽古をしだした頃には佐藤というキャラクターになりきっていたという。脚本は「繰り返し読み、"・・・・"の数まで記憶し、現場には一切持ち込まなかったが、そうした部分も実際の撮影では監督に壊されることが度々だった。ただ、それはアドリブの応酬のジャズ、セッションのようなもので
「壊される快感も含め、困惑ではなく、楽しかった」
という。その楽しさも脚本を食べるほど読み込むことで確実に感じ取ったものがあったからこそである。大江さんはそうした部分を
「この脚本の台詞はポエムであり、そのポエムとポエムの間にある"・・・・"を膨らませる作業がとてもイマジナリーで楽しかった。そこを持ちながら現場に入ったので、壊すにしても、戻すにしても、その場で作り上げていくにしても、監督たちと深いところまで力を込めてキャッチポールしている感覚がありました」
と語っている。実際にでき上がった作品を観たときは
「佐藤は"・・・・"の演技が多かったのですが、 実は無言の間は心でずっとしゃべり続けている男なので、しゃべっているな」
という役者としての手ごたえを感じたという。 この作品はひとりの男の希望を描いた作品でもあるが、その希望について
「希望とは自分の中にあり、その心の中にある声を聞<ことが出来るかにある。それが希望に繋がっていくと思う」
と長い活動の中で、時には周囲の意見を振りきり、目分の心の声に従い、新しいことを始めることで、結果的に何かを捨ててきた経験から大江さんは語る。例えば、この作品に主演するということも大江さんにとっては大きなチャレンジであったはずだが、この作品で掴んだ手ごたえは自身にとつての勇気となり、確実に今後の活動へも繋がって行くという。それがどの ような形で出てくるのか、ファンとしては興味深く、楽しみなところだろう。
この作品の上映の期間中は
「愛情を注ぎ込み、何度も劇場に足を運ぶ」
という大江さんは
「69分という時間枠の中で綴られる今までにない流れをスクリーンで体感して欲しい」
「特に同世代の方には諦めずにやってみようという気分、少しは気持ちが楽になるという部分はこせると思う」
と作品を観る方にメッセージを残してくれた。確かに多少なりとも人生に疲 れ、行き詰まっている同世代にとっては少しの勇気となる作品だろう。しかも客席を見渡せば、主演者本人がすぐ傍にいるかもしれないのだから、たまらないはずだ。
「WHITE MEXICO」は8月18日より、お台場シネマメディアージュ他で順次ロードショーC シネマート六本木で9月8日より、ロードショーです。また、9月19日には、作品の中でも強いEl]象を残す、大江千里さんによる挿入歌『静寂の場 所』がシングルとしてリリースされます。
Variety Japan 2008/02/03
アフガニスタン映画祭を主催する監督のリリカルな新作『音符と昆布』 page1
今年、3回めのアフガニスタン映画祭を開催しようとしている映画監督・井上春生の新作『音符と昆布』が公開中だ。深作欣二監督の助監督を務め、映画、CMの演出家として、映画祭のオーガナイザーとして、日本・アフガニスタン合作映画『THE ROOT』のプロデューサーとして活躍する彼の新作は、予想に反してかなりリリカル。
『音符と昆布』は、エピックレコードが、音楽プロモーションを映画という形で表現しようと始めた映画プロジェクト《CineMusica》の一 本。『チェリーパイ』『東京の嘘』『WHITE MEXICO』に続く第4弾となる。井上はこのプロジェクトに、脚本・監督として立ち上げから関わった。「クリエイティブに無駄な外圧がかかることなく、 文化小立国的なアイデンティティを持つことができた」というこのプロジェクトでは、「ノキアのフィンランドやアニメのチェコのように、グローバリズムに左 右され、屋台骨が折れることを危惧する必要がなかった」という。『音符と昆布』の井上監督に、新作とアフガニスタン映画について聞く。
映画『音符と昆布』は、人の気持ちを推し量るのが苦手なアスペルガー症候群である姉かりん、臭覚障害のある妹ももの物語。自分自身持て余す思いを交わら せたため、不協和音を生じさせる二人。だが、やがてその不協和音こそが外から新しい風を呼ぶ突破口だったことに気づき、彼女たちは成長していく。その姉妹 を、池脇千鶴と市川由衣が静かに演じる。「最後に、癒しという言葉が通用しないとき、ヒトは力強く生きるしかないんだということを、池脇さん、市川さん演 じる健気な姉妹が教えてくれたように思います」と井上監督。
アフガニスタン映画祭を主催する監督のリリカルな新作『音符と昆布』 page2
一方のアフガニスタン映画祭。インドやイランという映画大国に挟まれたアフガニスタンの映画文化を日本に知らせたいという思いで始めた。「9.11は知 られていますが、10.7にアフガン空爆があった事実は覚えられていないように、世界の脳裏から切り離されやすいアフガニスタンという国の現状を映画とい うツールはダイレクトに伝えてくれます」と井上はいう。
「25年もの間、紛争が続くアフガニスタンは、いまだ揺れている国です。この国の映画について知る人は日本にはほとんどいませんが、娯楽を一切否定したタ リバン政権時代以外は撮影所も稼働していました。そのタリバン政権が崩壊してわずか2年の2003年、カンヌで新人監督賞(カメラドール)を取った『アフ ガン零年』では、少女が生き延びるために髪を切り少年になります。見る人の心を鷲掴みにする分かりやすい内容です。重要なのは、そうした題材を叙事詩とし て成立させてしまうという明確なビジョンで、映画を商業としてだけではなく、文化として捉えることのできる作り手たちが、すでに存在している事実です」。 現在、井上は、ハイビジョンのデジタル技術を供与して日本・アフガニスタン合作映画『THE ROOT』を製作総指揮している。だが機材の面などで優れた技術力を持つ日本とアフガニスタン、「究極の所、どちらが豊かなのか分からない」という。
井上監督は、物事の捉え方は多様であるべきだと作品から語る。アスペルガー症候群のかりんにとって、音符(外灯を音符に見立てたポラロイド写真)は他の人 と異なる意味合いを持つ。音楽を語るものというより、彼女の方程式に則って、規則正しく並んでいるべきもの。その他人との違いをこそ、井上は肯定する。
アフガニスタン映画祭を主催する監督のリリカルな新作『音符と昆布』 page3
一方のアフガニスタン映画祭。インドやイランという映画大国に挟まれたアフガニスタンの映画文化を日本に知らせたいという思いで始めた。「9.11は知 られていますが、10.7にアフガン空爆があった事実は覚えられていないように、世界の脳裏から切り離されやすいアフガニスタンという国の現状を映画とい うツールはダイレクトに伝えてくれます」と井上はいう。
「25年もの間、紛争が続くアフガニスタンは、いまだ揺れている国です。この国の映画について知る人は日本にはほとんどいませんが、娯楽を一切否定したタ リバン政権時代以外は撮影所も稼働していました。そのタリバン政権が崩壊してわずか2年の2003年、カンヌで新人監督賞(カメラドール)を取った『アフ ガン零年』では、少女が生き延びるために髪を切り少年になります。見る人の心を鷲掴みにする分かりやすい内容です。重要なのは、そうした題材を叙事詩とし て成立させてしまうという明確なビジョンで、映画を商業としてだけではなく、文化として捉えることのできる作り手たちが、すでに存在している事実です」。 現在、井上は、ハイビジョンのデジタル技術を供与して日本・アフガニスタン合作映画『THE ROOT』を製作総指揮している。だが機材の面などで優れた技術力を持つ日本とアフガニスタン、「究極の所、どちらが豊かなのか分からない」という。
井上監督は、物事の捉え方は多様であるべきだと作品から語る。アスペルガー症候群のかりんにとって、音符(外灯を音符に見立てたポラロイド写真)は他の人 と異なる意味合いを持つ。音楽を語るものというより、彼女の方程式に則って、規則正しく並んでいるべきもの。その他人との違いをこそ、井上は肯定する。
「同じモノを見ても、人は自分と同じ見方をしていません。人と異なった考え方をしても良いし、自分なりの視点を持つことは素晴らしいことです。誰しも彼 女たちと同じように個性的でユニークな面があるはずです。そうした個性の相互理解を、この映画では行方不明の一枚の音符(写真)に託しました」。リリカル な『音符と昆布』と、アフガニスタン映画祭は、“多様な視点”というテーマでつながっていた。
『音符と昆布』は、現在シネマート六本木、お台場シネマメディアージュ、TOHOシネマズ西新井、 TOHOシネマズ 名古屋ベイシティ、TOHOシネマズ二条、TOHOシネマズ伊丹、敷島シネポップ、TOHOシネマズ トリアス久山で公開中で、以降も全国にて順次公開予定。また第3回アフガニスタン映画祭は、3月上旬に開催の予定。そこでは、『THE ROOT』も上映される予定とのこと。
パンフレット寄稿 島田雅彦氏(作家)
映画「遠くの空」パンフレット寄稿
島田雅彦氏(作家)2010
彼女はアンチゴネーか?
内山理名演じる松木美江とキム・ウンス演じる柳さんが互いに惹かれあうものを感じながら散歩するのは、東京都内の某所の私にも見覚えのある通りだったり、土手だったり、交差点だったりするのだが、それらの風景はモザイク状に編集されているせいか、見知らぬ街に迷い込んだ気がする。あるいはよそ者の目で東京を眺めている感じがする。
長らく東京に暮らしている身であっても、よそ者感は容易には拭い去れない。何しろ東京はソウルやニューヨークとも同様、一度共同体から離脱した人々がそれぞれの都合で寄り添って暮らす都市だから、隣人同士を結び付ける縁などありはしない。互いによそ者同士であることを認め、そこから共感を育むしかない。それが時にサッカーのサポーターであり、行きつけの店の顔なじみであり、同じ会社の上司と部下だったりするわけだ。
都心には出会いの場なら、いくらでもありそうなものだが、案外、人々の行動範囲は狭く、住み分けがなされているので、内輪の出会いに終始し、他人同士の関係は生まれにくいのが、現実だ。今夜も孤独なよそ者同士が居酒屋で、駅で、繁華街で無数のニアミスを重ねる。広い東京では運命の糸を手繰り寄せるのは至難の業だ。けれども、人間の本能はしばしば、あり得ない確率の出会いを手繰り寄せる。
美江は年下の彼氏がいるアラサ―の女。女子が真の大人になるのは、自分が歴史に関わりがあることに気付いた時だ。歴史とは無関係と思っているあいだは、人はみな子どもなのである。歴史や過去への関心は、年長者への関心でもある。三十路の女は男を背中で見るようになる。目に見えない何かを背負っている男に惹かれることもある。大抵の場合、年長の男は自分の過去に対しては口が重いか、話すほどの過去を持っていないか、どちらかである。前者の場合はおそらく、罪悪感や挫折感を引きずっていて、下手につつくと、過去の傷口が開く。触らぬ神に祟りなしなのだが、それでは年長者と年少者の交流を通じて行われるべき歴史や過去のリレーは行われないことになる。歴史や過去に関わりを持てる者は幸いであるが、親子でも、師弟でも、上司と部下の関係でも、なかなか歴史のリレーは生じない。互いのバリアを外す何らかのきっかけがないと、親子であっても、人は容易には心を開かないものだからだ。
「弱肉強食の醍醐味は仲間と一緒だということ」柳さんが呟くコトバが美江の琴線に触れる。もっと話を聞きたいという思いは恋かもしれないと彼女は思う。恋をすると、互いの来歴が気になる。恋は必然的に人を歴史や過去に向かわせるものなのかもしれない。
柳さんの口から、一九八〇年光州事件と当時の彼の恋の顛末が語られる。美江はその事件が自分にも深い関わりがあったことに気付く。三十年前の政治的な事件を背景に、一人の男と一人の女が出会い、別れる。葬り去られたはずの恋だったが、女は密かに娘を生んでいた。そして、その娘はそうとは知らぬままに偶然に自分の父親と出会い、恋に落ちてしまった。
もし、この恋を全うすれば、美江は『オイディプス王』の轍を踏んでしまう。彼女は父と母を再会させ、和解を取り持とうとする。父に失恋した娘の悲しみが、なぜか私にも伝わってきた。いや、彼女にはまだオイディプスの娘アンチゴネーの仕事が残っている。彼女は盲目の父の目となり、父がなずべき仕事の手引をすることになっている。
パンフレット寄稿 名越康文氏(精神科医)
「東京の嘘」は人間が社会的存在として、一貫した自己を演出する以前の本来的な"気まぐれさ"と”執念深さ"というものが画面から溢れてくるような作品だと思った。なぜ気まぐれに見えるか。ここに出てくる全ての人間が何かなぜか素直だからだ。実はストーリーは非常に明瞭だ。教授である瀬尾の「退屈さ」はある意味で存在論的な不快感として、そのまま残されてはいるが、ほかの登場人物については明瞭な動機がある。ただそれをあえてストーリーを解体し、コラージュし、モンタージュして浮き上がらせる手法をとり、且つ演技者たちにまるで過去からの連続性を断ち切るような演技をさせることで、社会的な仮面を取り去った後の人間のおそるべき気まぐれさと、その裏にある萎えることのない執念深さをフィルム上に刻みつけることに成功している。同時に「退屈」=「狂気の一歩手前」という臨場感を常に各々の場面に与え続け、そののっぴきならない状態から自己の中に出現する新たな別の層への飛躍を望んだ一人の少女が瀬尾という出窓を選んだ、という展開を施す。
さらに映像は、気まぐれな行動の中にこそ、その人の本来求めている一番内側の欲求が隠されているという分析的テーゼをも大枠で押さえつつ、我々を新しい感覚世界へと誘おうとする。一見矛盾しているかのように見える少女と白バイ警官とのと結末も然りで、日常の様々な気まぐれやその場限りの感情や思いつきに人間の根源的な欲求が隠されており、逆に言うと社会においての埒内において、明瞭に見える行動や認証し受け取れる行動というのはそのほとんどが退屈しのぎなのかもしれない。なぜ凌いでいるか。人と人とがなにか破滅に直結するような暗い欲望を後手に持っている存在なのだということを、もしもネイキッドに見せた場合、人と人とは恐れ合いすぎて相手を自分と同じ人間だとは認めあえないからだ。
故にさまざまな「嘘」で己を武装し小さな日常をやり過ごしていく。
しかし、この映像の中では、ストーリーの枠組み、行動の動機などは分かりやすく、シンプルであるのに、その断片を取り上げてみると、人間はこんなにも蛇のように執着心があり、一方ではこんなにも衝動的であり、断片化した人生を生きているのかということがひりひりするほど伝わってくる。内面の吐露という真っ赤な偽物の"真の動機"あるいは心の闇の解明なしに、人間のそういった存在論を展開したというところが、この映画のすごくユニークな点なのだと思う。
今は、はっきりと結論がつくものを出せば必ず将来崩壊の憂き目にあう時代だと思う。激変している時代の中で、それは悪くなっていくか良くなっていくかということを問うことさえできないくらい濁流になっている。故に今の時代を定型化して切ることは、数年を待たずして色褪せてしまう。そういう意味で、この斬新な映画を撮られた井上監督はラディカルな人であり、同時に非常に慎重な人間だと感じた。
今さらだが、人の欲望というのは、その人自身にはうまく言語化できないことが往々にしてある。他者や物やセラピストをスルーすることで、初めてそれが、あたかも元からそこに据えられていたかのように感得される。しかし、そのときはすでに、自分の中に発見したものなのか、あるいは外部からもたらされたものなのか実のところ分かりはしないのだ。だがそれは最も深い、その人がまさに自分を捧げるべき欲求であったりする。この映画全体を通して言えることは、最も毒性をはらんでいる言葉だが「人はなにかに献じられることで、主体化する」ということ。言葉の上では相反しているが、何かに献じられることによって、初めて主体としての実感を得るということが、この映画からひしひしと得られる感覚だ。しかし、"献じられる"ということは"捧げる"ことであって、自己に酔っているということ。捧げられる自分という状態が、恒常的に続くことによるある胡散臭さ、不快感もまた持っていなくてはいけない。その中で、絶えず自分を破壊し再生し続けるぐらいの強い不快感というものを自分に持っている人間でないと、この言葉の奥に潜む毒におそらく瞬時にやられてしまうだろう。
2007年11月13日
2010年9月17日
2010年4月30日
2010年9月25日
2007年12月25日
2006年10月3日
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